鉄砲小路

螢川町の辺りは城下町時代、足軽の居住地とされ、鉄砲小路と呼ばれた。

明治6年、螢川町となり、一部町域変更を経て、今日に続いている。

大正5年、螢川町中心部を東西に新道が出来、三井電気軌道が開通した。しかし、その北側は戦後も区画整理の対象にあたらず、城下町時代以来の狭い道筋が残り、鉤(かぎ)の手の曲がり角も見られる。

と、いうような鉄砲小路と螢川町の由来については、螢川町1丁目交差点の東方、鉤(かぎ)の手の道筋への入り口にある案内板に詳しい。

この案内板は、カギ屋さんの花壇に立っています。

くるめ今日は何の日

久留米市史』第6巻(平成2年、久留米市)に拠って、6月26日に何があったかを探ってみる。とりあえず「現代」の項を遡りつつ。

30年前の1986(昭和61)年、「久留米まちづくりシンポ86」が共同ホールで開催。

1985年、「久留米おきあげ」「八丁島の御供納」、市指定文化財指定。

1974年、諏訪野町に久留米勤労婦人センター落成。

1973年、公共下水道処理区域を拡張。

1972年、久留米まつり水の祭典のテーマソング「かっぱ音頭」を発表。

1958年、鳥飼小学校新校舎の完工式。

1953年、未曾有の大洪水が起こる。

 

63年前、昭和28年6月25日から29日にかけての、梅雨前線による集中豪雨は、九州北部地域を中心に大規模な水害をもたらした。

久留米では、いまも「28水」などと語り継がれ、市内では学校の壁などに最高水位の表示が見られる。

春から夏へ(2016)

今年のつつじは、
いまいちの花付きで、
いつの間にか終わってしまった。

つつじマーチは、
熊本地震の影響で中止になった。

北野天満宮の藤は見ずじまい。

梅林寺門前の標語は
       揉まれねば この味は
       出ぬ 新茶かな

JR久留米駅1階トイレ前に、
ツバメが巣を作っている。

石橋文化センターでは、
バラフェアが開かれている。

まもなく千光寺では、
紫陽花が咲くだろう。

六ツ門の門

かつて六ツ門には門があった。
その数は1つ。6つではない。

先日、六ツ門交差点の南東に
久留米シティプラザが開館したが
その西端から道路を挟んで向かいに
六ツ門の由来を記した石碑はある。
交差点南西の植込みのなかである。

市民会館から移されてきた彫刻の
磨き上げられ輝く姿に比べれば
とても控え目な存在である。

江戸時代、久留米の城下町には
警固のため各所に門が配置され
1つが現在の六ツ門の地にあった。

明六つ、夕六つに開閉したことが
「六ツ門」の名として残ったという。

江戸時代、門の往来が可能である
日の出から日の入りまでが
城下町の経済活動の時間であった。

いま、六ツ門では、
夜更けまで灯が煌々としている。

六ツ門うつりかわり

くるめりあ六ツ門に通りかかると、その西側に隣接する建物を解体するという、貼り紙や看板を目にした。昨年10月に別の場所へ移転した酒肴竹馬など、飲食店の入っていた建物である。

くるめりあ六ツ門自体は、昭和58年(1983)にユニードショッパーズ久留米店として開業し、のちダイエー六ツ門店と名を改め、平成17年に閉店。改装工事を経て、平成22年にくるめりあ六ツ門として開業。ただし、この度の解体箇所がいつ建てられたのか、すぐには確かめられない。

六ツ門では、通りかかるたびに以前と異なる景色が現れ、以前そこに何があったのかを思い出せなくなってきている。

雪の日の市民会館

久留米のまちが一面真っ白になった翌日。その大雪原を一目見ようと、このあたりでは数少ない高い建物の展望室までのぼってみた。

見渡せば、すでに大通りの雪は溶け始め、ゆるゆると進んでいく車がちらほら見える。けれども、家の屋根や庭、ビルの屋上や駐車場、公園などはいまだ真っ白である。

眺望を楽しんでから、すぐ向かいの建物を見下ろすと、緑の屋根だけが何事もなかったかのような姿をしている。それが、水の流れを取り入れたという、建物の設計と関係するのか、ここでは詳らかにできない。

久留米市民会館は、石橋文化ホール、徳雲寺の納骨堂、有馬記念館、現久留米市庁舎などと同じく、菊竹清訓の設計である。この7月末日を以て閉館の予定だという。

久留米三社参り

初詣はどこに行くのか尋ねると、高良大社、水天宮、篠山神社と返ってくることが少なくない。

高良大社は1600年以上の歴史を持つ。国重要文化財の社殿は、現在、お屋根替えの工事中で見ることができない。

水天宮は1190年創建とされる。宮司家は、幕末志士真木和泉が輩出した。一昨年が彼の没後150年であった。

篠山神社は明治12年に久留米城跡に社殿が完成した。由緒でいえば、大善寺玉垂宮の方が古い。ただ。そちらは鬼夜の日に行くという向きもある。

三社参りは西日本でも特に福岡県に強く根付いた風習とも聞く。

今日における久留米三社参りの傾向については、近代以降の観光地化や、戦時期における機能や、いろいろ要因はあるのだろうなぁと思うのですが、毎年初詣は市内の天満宮にお参りしています。